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日本の技術者たちよ、 誇りを取り戻せ!

私がまだ外交官であり、同時に執筆業を始めたばかりの頃のことだ。企画案を持ち込み、「日本はこれだけの力があるのだ」という本を書きたいと繰り返す私のことをたしなめるように、馴染みの老練な編集氏が言った言葉が忘れられない。――「原田さん、こういうタイトルの本は売れないのですよ。そうではなくて『日本惨敗』とか『日本大敗北』とかそういうのじゃないとダメなんです。」 私は正直、大いなる違和感を禁じ得なかった。もちろん編集氏に悪気があったわけでは毛頭ない。率直にいってマーケティングという観点からこれまでの経験に基づき、忠告してくれたのだろう。しかしそれは「売る側」に立った出版社の議論だ。「書く側」である執筆 […]

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円高、そしてようやく訪れる まともな議論

最近、某出版社の中堅編集者の方に訊いた話から始めたい。我が国の出版業界というのは非常に特殊であって、一言でいえば「金まみれの業界」であった。その理由は簡単だ。著者や読者にとっては「書籍」として見える“本”も、実は出版社にとってみれば“札束”だからである。 その理由は簡単で「雑誌」と「書籍」の区別が日本勢においては無く、出版社から本を出せば出すほど、取次各社はとりあえずその分だけを支払ってくれる。出版社はそこで最終的にその本が売れようが売れまいがまずは一時的に得られる大量の軍資金を社員たちに分配する。一方、大量に刷られた書籍はというと取次各社が「適宜」差配して書店へと流していく。だが経験的にいっ […]

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近現代以前の 日本における医学、その情熱

現代日本に暮らす私たちは「病気」になってから厄介になるのが“医学”であり“医師”であると思い込んでいる。ちょっと「変だな、具合が」と思うと、病院の扉を叩く。医師が(多くの場合、数分間にわたって)問診してくれ、処方箋を書いてくれる。最近では医薬分業の場合が多いのでこの処方箋を持って今度は薬局に向かう。すると薬局では薬剤師が副作用や諸注意について書いた紙を打ち出してくれつつ、実にカラフルな「薬」を分けてくれる。自宅に帰ってこれを早速飲んで寝る。――といった感じであろうか。 しかし考えようによっては、これは何とも不思議な話なのである。本来、ヒトは(当たり前の話ではあるが)“病気”ではないのだ。体内に […]

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「世界秩序構想無き “外務省改革”を振り返る」

外務省を自主退職してから早いもので6年以上の月日が経った。その間、実にたくさんのことがあったが出会った方々から未だに尋ねられることがある。それは「なぜ貴方は外務省を辞めたのか」ということである。その都度、私からは相手の方が納得されるよう“理由”を掲げることにしている。その一つとしてよく触れるのが、外務省職員(当時)たちによるいわゆる「公金詐取」を巡る一連の不祥事である。2001年1月から耳目を集めることとなったこれら不祥事事件の渦中に私はいた。もちろん「容疑者」「犯罪者」としてではない。大臣官房総務課総括班長(後に法令班長)としてこれら不祥事の実態を外務省内において調査し、かつその結果を対外公 […]

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「政治とカネ、その真実」

今回は海部俊樹『政治とカネ 海部俊樹回顧録』(新潮新書)をご紹介します。 昔から大成した政治家が「自叙伝」「回顧録」を書くのには2つの理由がある。一つは後からあぁだ、こうだと歴史家に文句をつけられ、自分が思ったとおりの「書かれた歴史」が残らないようになるのを防ぐこと。そしてもう一つは為政者となってもやり残したことが多く、後世に託すというよりも、むしろ恨み節たっぷりで書きつづるパターンだ。特に首相や大統領などの「自叙伝」「回顧録」を読む際には、この二つのウェイトが気になって仕方がない。 1989年8月9日。第76代日本国内閣総理大臣に“弱小派閥”「河本派」の出身でありながら任命された海部俊樹の場 […]

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「アマテラスはどこからやって来たのか?」

今回は武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く―マテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)をご紹介します。 いつも思うことなのだが、世の中には2種類の本がある。一方には時を忘れて読み耽ってしまう本がある。頁をめくっているという感覚もなく、正にそこに書いてある世界に自分自身が飲みこまれるような、そういう本である。他方では頁をめくるのが億劫で仕方のない類の本もある。確かにたくさん書いてあることは書いてあるのだが、どうにもこうにも詰まらない。当たり前のことをもっともらしくカタカナ混じりで書いてあったりするのだが、とにもかくにも「意味が無い」のである。 確率でいうと世間には後者の類の本が多い。特に「ベストセラー」な […]

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「金融メルトダウン、 そして明治維新の真実」

今回は泉井純一『夢のまた夢 ナニワノタニマチ』(講談社)をご紹介します。 最近とんと聞かなくなった言葉が幾つかある。その一つが「タニマチ」だ。タニマチとは、志ある(ことになっている)人物に対して何の見返りもなく、その無心に応じてカネを与える人たちのことを指す。 芸能界ではしばしば「タニマチ」が語られてきたものの、普通に暮らしている分にはそうした人物たちとの出会いというものは無いものである。やや余談になるが、最近、総理官邸で副長官を務めた人物が京都選出で、地元に帰った時のこと。「支持者」、すなわちタニマチの集まっている祇園の料理屋に出向くのに省庁出身の秘書官が同道した。 すると居並ぶ「タニマチ」 […]

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「科学とビジネス、その永遠の課題」

今回は宮田親平「『科学者の楽園』をつくった男」(日経ビジネス人文庫)をご紹介します。 世間には「永遠の課題」となっている関係がいくつかある。一番俗な話でいえば「男女関係」がその一つであろうが、私がここで注目したいのは「科学とビジネス」の関係である。なぜそうなのかといえば、一方において科学とはドイツ語でいうところのWissenschaft(ヴィッセンシャフト)であり、「仮説と検証」を旨としつつ、あくまでも真理探究のために行われるべきものだと一般には信じられているからだ。しかし他方で「武士は食わねど高楊枝」というわけにはいかないのであって、科学者も糊口を拭うために「ビジネス」をしなければならない。 […]

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「“ニューノーマル”を創るのは誮か?」

今回は國貞文隆『慶應の人脈力』(朝日新書)をご紹介します。 これまで実にたくさんの雑誌より取材を頂いてきたが、いくつかのインタヴューは今でも記憶に残っている。その一つが雑誌「GQ JAPAN」によるものだった。お受けしたのは 2007 年、そう弊研究所を設立したばかりの頃だ。「よくこんな小さな研究所に目をつけてくれたものだな」と正直感心したが、1頁もので掲載して下さった私のインタヴュー記事はかなりの反響があった。私の様な武骨者がファッショナブルな同誌に掲載されるなど、全くの“想定外”だったのかもしれない。「あれ、あの記事、読みましたよ!」といった声を当時、しばしば聞いたものである。しかし、当時 […]

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「立憲君主制を守るツールとしての内奏」

今回は後藤致人『内奏――天皇と政治の近現代』(中公新書)をご紹介します。 臣下が天皇に対して申し述べる行為を総 称して「奏」という。 この IISIA マンスリー・レポートの読者 の方々は基本的に(当然)“一般国民”であることを前提としているので、いきなり「奏」と言われても何のことか分からないかもしれない。しかも天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」とされている(日本国憲法第1条)。そして「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定められ(同第4条)、いわゆる「国事行為」が具体的な形で定められている(同第6条および7条)。そのどこを見ても […]

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