円高、そしてようやく訪れる まともな議論

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最近、某出版社の中堅編集者の方に訊いた話から始めたい。我が国の出版業界というのは非常に特殊であって、一言でいえば「金まみれの業界」であった。その理由は簡単だ。著者や読者にとっては「書籍」として見える“本”も、実は出版社にとってみれば“札束”だからである。 その理由は簡単で「雑誌」と「書籍」の区別が日本勢においては無く、出版社から本を出せば出すほど、取次各社はとりあえずその分だけを支払ってくれる。出版社はそこで最終的にその本が売れようが売れまいがまずは一時的に得られる大量の軍資金を社員たちに分配する。一方、大量に刷られた書籍はというと取次各社が「適宜」差配して書店へと流していく。だが経験的にいっても普通の本はおよそ2万部以上売れないものである。いや、今の景気でいえば1万部売るというのも至難の業なのだ。そこで大量の書籍が返品され、取次を経由して出版社に戻って来ることになる。当然、取次は出版社に一時的に払った全額の代金の内、売れなかった冊数の分だけ「返金」を求めることになる。 しかしここからがこのシステムの真骨頂なのだ。出版社は追い詰められるのかと思いきや、すぐさま「次の1冊」を取次各社へと押し込む。そして同じように一時的な大金を受け取り、その中から「返金」分を賄うというわけなのである。その結果、本が売れようが売れまいがこのシステムが回る限り、出版業界全体としては「カネが回る」ことになっていくというわけなのである。 ところがこのシステムがここに来て崩れ始めている。金融メルトダウン、そして電子書籍など“衝撃”が続く中、徐々に目覚め始めたのが著者である。よくよく考えれば創った本人が売上の10パーセントしかもらわないというシステムそのものがおかしかったのだ。その結果、印税は徐々に紛争のタネとなっていき、著者はますます出版社から離れていく。 出版社はというとここで新たな戦略に出始めたのだという。一冊の本を売る期間を異常なほど短くしたのだ。売れない飲み屋がそうであるように「回転率」をよくしようというわけである。その結果、出版点数は異常に膨れ上がり、昨年(2010 年)末には一つの山場を迎えた。 だがこうなると困ってしまうのが自転車操業とでもいうべき資金繰りを余儀なくされる取次各社である。取次各社はここで一計を案じ、日本勢の出版社に対して大号令をかけ始めた。――「これ以上、出版点数を増やさないように。多くても2010年12月末までの枠内で収めるように」 大変長くなったが、第二次世界大戦後、GHQという名の米国勢によって完全に組み替えられ、その操作の対象とされた日本勢の出版メディアはこのようにして自壊のプロセスに入り始めたというわけなのである。だが私はこうしたプロセスが始まること自体に対して悲観的ではない。いやもっとポジティヴに「起きるべき出来事が起きた」とすら考えているのだ。なぜならばこのような状況になると確かに最初は「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、最初は低俗で愚务な書籍だけが横行することになるだろう。しかし不思議なもので行くところまで行くと人々は気付き始めるものだからだ。「こんなものじゃない、私が読みたいのは。売れている・売れていないではなく、今の私にとって真実の言葉を語ってくれる大切な一冊。そうした本だ、私が欲しいのは」 出版業界も遅ればせながらそうした「当たり前のこと」に気付き始めたようだ。ここに来てかつての夢遊病のような「構造改革」連呼で有名だった出版メディアなどから、少しずつではあるが、読むに耐え得る本が出され始めている。そうした本の一冊に最近、私は出会った。今回紹介する盛山和夫『経済成長は不可能なのか 少子化と財政難を克服する条件』(中公新書)である。 奥付を見ると著者(盛山和夫)は現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授とある。社会学が専攻であるようなのでマクロ経済学の専門家でないことは明らかだ。これまでこうした「専門外」の方々が日本経済について語る書籍といえば、明らかに「構造改革」という名の“破壊ビジネス”にバイアスがかかっているか、あるいはいつもながらの左翼イデオロギーからの分析が内容となっている場合がほとんどであったように思う。しかしこの本は違う。そう印象づけられたのは次の一節を読んでからであった :
「『行財政改革の論理』は、『ムダを削れば経済が活性化する』という理論の面で間違いであるだけではない。それはもっと重要な意味で間違っているのである。それは、政府がはたすべき役割、政府がお金を支出して実施すべき政策を制限し、国民にとって必要な政策を排除してしまうのである。・・・(中略)・・・そこへ、今回の大震災である。今や、そう主張する人はいないだろうが、もしもここで『震災復興に名を借りたバラマキ行政に気をつけよう。震災復興においても、『ムダ』な支出がないかどうか厳密に検討した上で、復興予算を認めることにしよう。できるだけムダを削減することが、復興への道筋だ』という論理がまかり通るようであれば、日本経済はがれきの山に埋もれてしまうことになるだろう。震災によってであれ、バブル崩壊によってであれ、民間経済が疲弊しているときに、政府が「ムダの削減」に邁進することは、災厄を二重にも三重にも苛烈にするだけだ」
2005年を一つのピークとして、日本勢全体が夢遊病の様に連呼していた「構造改革」。それが国内的に見れば来る「2013年」にいわゆる“団塊の世代”が年金受給者となり、国家的なファイナンスが危機的な状況になるという問題があることを控えて、現在からあり得べき“デフォルト(国家債務不履行)”宣言を行うための段取りとしての「財政調整」(そして「債務交換」)を行うための手段に過ぎないことは、これまで弊研究所が繰り返し各種教材で分析を提示してきたとおりである。 現実においてはどうかといえば、明らかに日本政府が行ってきた“事業仕分け”はこれ以上何も見つけることが出来ないというところまで済んでいる。そうである以上、ここから先はそればかりに終始しては上記の意味での“あり得べき事態”へと備えられないのであって、今更「構造改革」ではないということになってくるはずなのだ。 ところが日本勢においては未だにそうした俯瞰図を知らずにバカの一つ覚えで「構造改革」を唱える向きがいる。実際、私も日本勢の地方をまわったり、あるいは大企業幹部たちと会話をしていると「凝り固まった思考」という意味での“構造”は徹底して破壊されるべきだと考えざるを得ないことも多々ある。しかしだからといって国レヴェルで果たして「構造改革」が必要なのかというとそれをトップ・プライオリティーに政治を進めるというのは明らかに時代遅れであり、無意味なことなのである。ところが表立っては誰もそのことを言わないわけであり、単なるケインジアンとも一線を画した本書における上記発言は正に一聴に値すると私は考える次第なのである。 一方、対外経済の関係で言えば次の一言が本書の中では一番胸に響いた。これもまた「当たり前のこと」を当たり前に言うことが出来ない日本勢における得も言われぬ雰囲気を見事に突いた一言である :
「『円高はマクロ経済にとって問題だ』という認識は、今日では世間の常識に近くなっているが、じつはこれはつい最近のことである。しかも、その認識は広まってきているものの、経済学者の専門的な研究で、円のレートの動きと日本経済のマクロな動向とを結び付けて理解する試みはほとんどない。マスコミレベルでの評論家の議論にも現われていない。 ・・・(中略)・・・これは奇妙なことだ」
さすがに1ドル=75円台にも突入した今日、日本勢のマクロ経済学者も真正面から議論をせざるを得なくなっているはずなのだが、そうした議論は全く聞こえてこないのが現状ではある。それもそのはず、弊研究所がこれまで様々な教材で明らかにしてきたとおり、「円高」への急転換というのは、(1)米欧勢からすれば国富を退蔵している日本勢に対して「円高介入」という形で富の放出を事実上強制し、最終的に日本マーケットにおいて発生する金融バブルから裨益するための仕組みなのであって、(2)日本勢における為政者たちからすればその意味での「対米協力」であるのと同時に、自らが先回りして投資し、バブルから裨益するための絶好のチャンスだからである。そのようなことをまともに「研究」などして暴露されてしまっては困るのであって、いわゆる名のある学者たちは一切口をつぐんでいるというのが実態なのであろう。 盛山和夫の手による本書は正にそのような意味で画期を成すものである。何というべきだろうか、「本音」で書かれた良心的な学識経験者による著作を久々に読んだといった感じである。その後の爽快感こそ、これまで夢遊病の様に連呼する「構造改革論者」に違和感を覚えていた大多数の日本勢にとって今求められているものなのだと思う。 さて、この本が題材としているのは少子高齢化とデフレ経済の継続という「二重苦」に喘ぎ、瀕死の状況にまで追い詰められた日本勢の為の“処方箋”は果たしてあるのかという問題である。よくよく考えてみればこれらの問題はその「解決法」は見えている、と盛山和夫はいう。なぜならば「少子化」を防ぎたいというのであれば「出生率」を上げる努力を国家的にすれば良く(成功例は実際にある)、デフレだと騒ぐのであれば「仕分け」に励むどころかむしろ逆に財政支出を増やして有効需要を創出すれば良いのである。なぜそれが一体出来ないのだろうか。そして盛山和夫は次のように述べる :
「(1)基本的に消費増税なしに、必要な政策的経費をまかないつつ、プライマリー・バランスの改善を図ることは不可能だ。 (2)しかし消費増税だけでも不十分で、経済全体を早期に四パーセント程度の名目成長率の軌道にのせ、成長による税収増を図らなければならない (3)とはいえ、リーマンショックと大震災によって落ち込んだ経済の体力を考えれば、今すぐの増税は不適切だ。 (4)したがって、一時的には国債を増発して、積極的な金融の量的緩和と財政支出拡大を組み合わせた『デフレ脱却政策』が必要だ」
これから訪れるのは明らかに日本勢における歴史的な金融バブルであることを踏まえれば、私自身として盛山和夫によるこうした議論に完全に納得しているわけではない。そうではなくて「当たり前のことを当たり前に論ずる」態度をもった識者がようやく現れ始めたということに大いなる共鳴を覚えた次第である。 現下の混迷を越えて我が国、そして世界は確実に「善き姿」へと回帰しつつある。そこに至る道のりは未だ遠い。しかし“曙光”が見え始めていることを、私たちは決して忘れてはならないのである。そうした意味での「同志」に対して勇気を与えてくれる一冊、それが本書である。