「ロッキード事件では、田中角栄氏に続いて、佐藤孝行、橋本登美三郎両氏も逮捕され、二階堂進、加藤六月、佐々木英世、福永一臣各氏も灰色政治家となった。関係者が『記憶にございません』を繰り返した証言が世間の失笑を買ったが、党内では、事件を機にさらなる三木批判が沸き上がった。いわく、『仲間の逮捕を抑えなかった三木には、惻隠の情がない』と言うのである。
肝心要の田中派は、ピンチにあって普段以上の結束力を見せた。やるか、やられるか、喰うか、喰われるか。修羅場に強い田中軍団の『一致団結・箱弁当』の側面が、凄みをともない露わになった。
それでも三木首相は、『情報を公開し、できる限り国民に明らかにする。皆が、これほど大きな疑問を抱いているのに、蓋をしたのでは、日本の民主主義が救われない』と、一歩も後に引かなかった」
「この事件で、三木前首相は清濁あわせ持った一面を見せた。軍用機が絡むだけに、ロッキード事件より“奥の院”への影響が大きいと考えたのだろう。『なんでも無菌状態にすれば良いわけでもない』と話していた。『バルカン政治家』の異名を持つ氏の、常日頃とは違う発言だった。正直、私自身は肯きかねたが、『真相は、三木さんや松野(註:頼三)さんに訊いてくれ』としか、今では言いようがない」
「私とゴルバチョフ大統領の会談まで、北方領土には『南クリル諸島』と表現されていた。私は、共同声明を発表するにあたり、『南クリル諸島』ではなく、『歯舞諸島、色丹島、択捉島、国後島』と明記するよう主張した。目をそらしたら負けだから、一瞬も離すことなく大統領の目をしっかと見続けた。とうとう大統領は、ソ連首脳として初めて四島を明記した上 で、『領土問題の解決と平和条約の締結を目指す』という内容の『日ソ共同声明』を自らの手で書いた」