「金融メルトダウン、 そして明治維新の真実」

- PICKUP -

今回は泉井純一『夢のまた夢 ナニワノタニマチ』(講談社)をご紹介します。

最近とんと聞かなくなった言葉が幾つかある。その一つが「タニマチ」だ。タニマチとは、志ある(ことになっている)人物に対して何の見返りもなく、その無心に応じてカネを与える人たちのことを指す。

芸能界ではしばしば「タニマチ」が語られてきたものの、普通に暮らしている分にはそうした人物たちとの出会いというものは無いものである。やや余談になるが、最近、総理官邸で副長官を務めた人物が京都選出で、地元に帰った時のこと。「支持者」、すなわちタニマチの集まっている祇園の料理屋に出向くのに省庁出身の秘書官が同道した。

すると居並ぶ「タニマチ」たちはいずれも美女同伴。しかし東京ではマスメディアでもイケメンで有名な副長官氏はそうした美女連中には一切目もくれず、一心

不乱に「支持者=タニマチ」たちに頭を下げてこう叫んでいたのだという。

「いつもありがとうございますっ!!」

当の「支持者=タニマチ」たちはというと、美女たちの肩を抱いたまま、フンフンと肯いていただけだったらしい。「タニマチというのはすごい存在ですよ」とそうした世界を初めて垣間見た秘書官氏がため息混じりで語ってくれた。

それはさておき。上記のとおり普通に生活していると(ましてや「東京」でサラリーマン生活などしていると)絶対に出会うことがない「タニマチ」。その「タニマチ」 の生態に触れるのに絶好の書がある。それが今回ご紹介する泉井純一「夢のまた夢 ナニワのタニマチ」(講談社)である。

「泉井」と聞いて、ピンと来られた方は相当記憶の良い方だ。1990年代、当時の通産省を揺るがせた「泉井事件」の張本人で、実際に投獄された人物である。そのように聞かれると、最近はやりの「国家の・・・」シリーズ、つまりは捜査当局に対する恨み節ばかりが連なっている本の様に思うかもしれないが全くそうではない(もっともお決まりの東京地検特捜部による取り調べシーンはそれなりに迫真のものだが)。

むしろこの本でとても興味深いのが、一体どこの誰がこの「タニマチ」に群がっていたのかである。次々に実名が出てくるのには本当に驚いてしまう。例えば次のような一節がある:

「僕が最初に親交を深めた政治家は、山崎拓です。彼との関係は、後に、決定的な断裂にいたりますが、思えばその出会いからどこかしらぎこちないものがありました」 「それからはとき折会うようになりましたが、こちらから頼むことは何もないので、声を掛けてくるのはいつも向こうのほうからです。 『ちょっと用事があるから、来てくれませんか』 その『用事』の中身はほとんどいつも同じ。カネの面倒を見てほしい。それだけです。僕が生涯を通じて彼に渡したカネは合計2億7700万円にも上りましたが、それはまとまって渡した額を合計したもの。細かく渡したものは他にもありますし、現金以外の形で用立てたものもあります。 最初の印象が悪かった相手に、なんでカネを渡し続けたのか、と思う人もいるでしょう。まず第一は、彼を紹介した結城君のため。それに拓も大学の同窓(註:早稲田大学)ということで、縁がないこともない。政治という一つの世界でトップを目指して頑張っているんだから、できる範囲で応援してやろうと思った。単にそういうことです。 あまりに無心が重なるので、『なんで政治いうんはそないにカネが掛かるんか』と訊いたことがあります。拓はこんな話をしていました。 『泉井さん、僕の選挙区ではお爺ちゃん、お婆ちゃんが毎年3千人は死にます。すると、一人 1 万円ずつ香典を送ったとしても年に3千万。それに初盆にも1万円送るから、倍になって6千万です。香典だけでこれだけ掛かるんですよ』」

この下りを読んで思いだしたことがある。――関西国際空港が近くに出来たとある町の首長選の時のこと。一応対立候補が出てきたので選挙をやったわけであるが、見ると選挙事務所に昼時になると決まってやってくる変わった風体の男がいる。無視して仕事をし、やがて昼時だからと弁当を運動員たちで食べ始めるのだが、物欲しげに見ている。仕方が無いので一つ分けてやると、次のように言われたのだという:

「あんたんとこの弁当はこんなんか。こりゃアカン。あっちの方が100倍マシや」

そう、つまりはタカリ屋だったというわけである。ここでまともな弁当を出さないと、「あそこはもうカネがない。選挙にも勝てへん」と吹聴する。かといって出し過ぎると公職選挙法にひっかかってくる。実に痛し痒しなので、結局はそこそこの弁当を黙って出すことになる。

日本勢の中央政界では「政治とカネ」と未だに喧々諤々と議論している(ことになっている)。しかしそもそもどこに問題があるのかといえば、たった一つ。有権者の側なのだ。しかもこうした「タカリの構造」は国政選挙だけではなく、もっと見えない地方選挙においても当然の如く行われている。さすがのGHQ(占領軍)もびっくりの「アメリカン・デモクラシーの日本土着化」だろう。

いずれにせよ非常に興味深いのは、この本の中で繰り返し著者(泉井純一)は「カネをあげたのは見返り目的ではなかった」と述べている。その件で投獄された人物の言うことなのでそれなりに割り引いて考えるべきなのかもしれないが、それにしてもその金額の大きさからいうと尋常ではなく、見返り云々ならば到底見合わない規模であることも事実だ。

それよりも何よりも読んでいて大変興味深いのは、著者(泉井純一)が投獄されている最中のこと。著者にカネを貸している人物から追い詰められたその娘に対して、何人かの著名人が励ましの声をかけてきてくれたのだという :

「それまでカネに不自由はさせないよう育ててきたつもりですが、それが経済的にどん底まで落ち込んだ状態で一人残され、借金取りにまで迫られる生活。なまじそれまでカネがあっただけに、こうした境遇はさぞ辛かったでしょう。 そんなとき、励ましの電話をくれたのが貴乃花だそうです。貴乃花は、娘にこう言っていたそうです。 『泉井さんが出てきたら、出所祝いを自分だけでやるつもりです』 他にも、サッカーの釜本君の奥さんが毎月、電話をくれたそうです。 サッカーの岡田君も娘を心配して電話を掛けてくれ、娘を食事に招待して励ましてくれました。この岡田君は僕にも、塀のなかに本を差し入れてくれました。窮地に陥ったときこそ、友達のありがたみがわかります」

スポーツ界がこのように気にかけてくれる中、政治家たちはさーっと引いていったのだというから人間は実に現金なものだ。一番カネをもらっていたのは一体どこの誰だというのか。

法律は「知らなかった」では済まされないものではある。しかし、カネは人情の裏側にある。その二つを時に面白おかしく教えてくれる好著だ。これから再びやってくる「金融バブル」の前にこそ、襟を正しながら読んでおきたい一冊である。