「“ニューノーマル”を創るのは誮か?」

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今回は國貞文隆『慶應の人脈力』(朝日新書)をご紹介します。
これまで実にたくさんの雑誌より取材を頂いてきたが、いくつかのインタヴューは今でも記憶に残っている。その一つが雑誌「GQ JAPAN」によるものだった。お受けしたのは 2007 年、そう弊研究所を設立したばかりの頃だ。「よくこんな小さな研究所に目をつけてくれたものだな」と正直感心したが、1頁もので掲載して下さった私のインタヴュー記事はかなりの反響があった。私の様な武骨者がファッショナブルな同誌に掲載されるなど、全くの“想定外”だったのかもしれない。「あれ、あの記事、読みましたよ!」といった声を当時、しばしば聞いたものである。しかし、当時の私にとって自分自身の記事よりももっと気になったのが、インタヴュー現場に現れた編集者氏であった。気さくなライター氏と比べると、明るいものの、何かしらどっしりした感触のある人物。「この人は……将来、自分自身が打って出る感じのタイプだな」――正直、そう思ったことを今でもはっきりと覚えている。
あれから3年。ふと手にしたビラで宣伝されている書籍をネット書店で購入し、裏に示されている「著者近影」を見て、ややビックリした。あの時の編集者・國貞文隆氏だったからである。タイトルは『慶應の人脈力』。彼のことだからきっと何かやってくれたに違いない、そう思いながら頁を繰ってみた。 しかし、大変申し訳なきことながら、ややがっかりしたことをまずは告白しておきたい。著者はいう:
ニューノーマル。リーマンショック後の経済は、以前の世界経済とは別物になっていることを指摘した新しい概念だ。新しい秩序が訪れ、それが常態化してしまうという二つの意味を表現している。
のっけからこの調子なので、普通の読者であれば「慶應の人脈力」は正にそうした“ニューノーマル”の原動力となっているかのように考えてしまうだろう。しかし、蓋を開けてみれば全くそんなことは無い。要するに「慶應の人脈力」とは、自らヴェンチャー起業家であった開祖・福澤諭吉を除けば、結局のところ、同族経営企業の係累を囲い込んできたことによるものなのであって、それ以上でもそれ以下でもないのである。“ニューノーマル”とは無縁の、むしろ旧態依然としたやり方そのものなのである。
著者は「慶應の人脈力」との比較において、「東大の人脈力」を徹底して“こき下ろす”(ちなみに著者は学習院大学経済学部卒であるそうだ)。とりわけ東大卒のヴェンチャー起業家については「それぞれ一世を風靡したにもかかわらず、すべて挫折している」 と情け容赦ない扱いぶりだ。
しかし、著者には率直に聞いてみたいのである。それだけの「人脈力」を誇る慶應義塾はなぜ、去る2008年、デリヴァティヴで225億円もの運用評価損を抱えるに至ったのか、と。「慶應義塾の損失額の大きさは、それだけ巨額の資金を運用していた証左でもある」などと、褒めているのか、叱っているのか分からない評価をしている場合ではないであろう。本当の「人脈力」があるかどうか、疑問を呈するのが著者としてあるべき態度なのではないだろうか。少なくとも私はそう思う。
著者の「名誉」のために申し上げると、一部で次のような“つぶやき”がこの本の中にはある:
福澤諭吉に「門閥は親の敵」という有名な文言があるが、時代を経て、いつの間にか門閥を生む学校になったことを、諭吉がいま生きていたらどう思うだろう。
これを見ると、著者にもジャーナリストとしての「最低限の良心」はあるということだろうか。しかし、あまりにも見え透いた PR を織り込みすぎる書籍の著者は、怖いぐらいに必ず歴史の藻屑と消えていく。豪放磊落な著者の、少なくとも3年前の容貌を思い起こすたびに大きな疑問符と嘆息が交互に出てくる、そんな本なのかもしれない。
ただし、そういった「慶應の人脈力に対する評価・価値判断」の部分を完全に取り除き、単なるデータブックとして読めば、それなりに使い出がある本ではある。その意味でここで読者諸兄にお勧めしておきたい次第である。