「伝承としての金融資本主義が持つ限界」

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本稿を執筆する直前、我が研究所が行っている社会貢献事業「IISIA プレップ・スクール」の卒業生であり、東京大学法学部から今年(2010年)4月、財務省に入省したN君から報告メールが届いた。読むと、「大臣官房がどういう考えかは分かりませんが、国際局に配属になりました。国際金融と英語の勉強が始まり、大変です」とのことであった。
明日を担う気概を持つ若い学生たちに対する無償の“情報リテラシー”教育を始めて早5年が経つ。実にたくさんのことがあったが、中でもとりわけ嬉しい瞬間が卒業生たちからこういった連絡をもらう時である。とりわけN君は(本人には申し訳ないが)大学1年生として出会った当時、さすがの私でも「どうしようか」と困惑するほどの人物であった。なぜならば気概はともかく、高等教育を受けるにあたり初期段階で必要な修養が一切なかったからである。 例えばレポートを課せば、200字詰め縦書き原稿用紙にペン書きで書いて来、しかも「脚注」すら無いといった具合にである。 正直てこずったが、「政治家になって弱き者、困窮する者を助けたい」という情熱を持ち続けているN君に、私は「政治家ならいつでもなれる。それよりもまずは国家機関の中枢で様々なことを見聞きするべきだ。“勝負”をかけるのはそれからでも遅くはない」 とアドヴァイスした。数字に弱いN君が財務省、しかも国際金融の現場でこれからどういった活躍ぶりを見せてくれるのか、とても楽しみだ。

今春はさらに嬉しい知らせが重なった。 つい先日まで「IISIAプレップ・スクール」に同じく通ってくれていたW君から、「日本銀行から内定を得た」旨のメールももらったからである。普段はおとなしい印象のあるW君だが、口を開くと徐々に熱の籠った議論をし始める彼のことである、この就職難の時代にあっても必ずや自らの希望を実現するだろうとは思っていた。今はただ、 こうした気概溢れる有能な若者たちの前途に幸あれと心から祈るばかりである。 既に読者の皆様におかれてはお気づきのことと思うが、「IISIAプレップ・スクール」の卒業生たちはこの金融メルトダウン“真っ盛り”の中だというのに、あえて金融資本主義の渦中から職業人生の第一歩を踏み出そうとしているのである。「酔狂な若者たちだ」と思われるかもしれない。しかし、誰が何と言おうとその形態はどうであれ、 “金融”“資本主義”という仕組みそのものが消滅することは当面の間、考えられないのである。一方、2007 年から露呈した「金融メルトダウン」の惨状を鑑みれば、そこからの立ち直りのフェーズにおいて国際社会全体が“気概”と“能力”、そして“高潔さ”を持った新しい担い手たちをそのゲームの場で必要としていることも明らかだ。 その意味で期せずして(というのは実は表向きの理由であり、「IISIA プレップ・スクール」やその前身である“学生寺子屋”を 始めた当初から私の真意は正にそこにあるわけであるが)我が研究所による社会貢献事業がそうした求められる人材を選別し、 修練し、そして送り出す「媒介項」となっ ていることを大変嬉しく思う次第である。 このように我が研究所による社会貢献事業は着々と最初の地歩を固めつつあるわけであるが、そうだからこそ私自身、最近、頭を悩ませていることがある。それは「では、その次に何を為すべきか」ということ である。今年(2010年)も「IISIA プレッ プ・スクール」にはたくさんの優秀な若者たちが集い、切磋琢磨していくことであろう。そしてその先にあるのは彼らの飛翔であることも間違いない。しかし、「その先」にあって先回りすべき私自身は一体何をすれば良いのだろうかということである。 このことを考えつつ、ふと手にとった本があった。―――それが津島寿一・著「森賢吾さんのこと (下・事蹟)」である。津島寿一は 1945年に小磯國昭内閣の蔵相を務めた人物であるが、その前は財務官としてその名を知られた人物であった。本書はその先輩格であり、同じく財務官として大活躍した森賢吾の事蹟を辿りつつ、さらにその先輩格にあたる高橋是清から始まる戦前期日本の“財務官”を巡る歩みを活写する好著である。この本を書き始めるにあたり、「はしがき」の中で津島寿一は次の様に記している :

「森さんは明治末期から昭和初年にかけ、海外駐劄財務官として、国際金融経済の分野で活躍し、わが対外財政の処理に貢献され、偉大な事蹟をのこされた方である。そして私自身にとっても、公私生活上長期に亘り、親しく指導され最も深い縁故のある先輩であった。 が、森さんの在世中の仕事が主として海外に在ったため、一般世人に周知されておらない。そこで、私としては多年の念願であった森さんについての回想的記述を、この芳塘随想において試みようということになったわけである」

戦後に入って日本ではいわゆる大蔵省(現・財務省)の「財務官」を巡る“まともな”書籍が無い。歴代の財務官の多くが未だ存命中であるということがその理由なのであろうが、本著に記された森賢吾の業績をつぶさに知ると、彼ら後輩たちがそうである理由は何といっても先輩らによる事蹟と自らのそれを巡るスケールの差が歴然としすぎているという事情があるように思えてならないのである。たとえば第一次世界大戦当時、軍需品調達のため英国勢は米国勢に対し、多額の金(ゴールド)支払いを余儀なくされたが、これを助けたのが実は日本勢だったのである : 「英国政府は連合国のため軍需品の買入れを行っておったため、対米支払の負担は中々重かった。これを緩和するため、露国と協定を作り、露国保有の金を英国の手に移すことになった。しかし実行手続としては、その金は露国から加奈陀まで現送しようということになった。 カンリフ総裁(註:英蘭銀行総裁)は日本の軍艦に依頼して現送しようという案を思い付いて、森さんにその実現方を依頼したのであった。 森さんは日本政府を通じて海軍に話すと快くこれを引受け、カンリフ総裁と種々打合せた結果、先方は六億円の金貨を浦塩から軍艦で加奈陀へ輸送するのであるが、森さんはその内で、日本に二割だけを供給するという約束をとりつけた。英国政府は日本海軍の協力に対して感謝したが、一方日本も正貨補充の実を挙げることができた。(その上、英国政府は輸送費を日本政府に支払ったのであった。)」 あの日本海軍まで動かすというのであるから、森賢吾は国内外にわたり圧倒的な影響力を持っていた人物であることを御理解頂けるであろう。そして、森賢吾の“事蹟”はこれだけではなく、津島寿一はこれでもか、これでもかとその“事蹟”を列挙する。その中でも現代との関係でとりわけ目を引くのが、第 1 次世界大戦後のドイツによる賠償金支払いを確保するために設立された国際決済銀行(Bank for International Settlements, BIS)を巡る森賢吾の奮闘だ。 津島寿一はいう :

「ここに附言を要するのは・・・(中略)・・・この銀行の株主としての参加資格について問題があったことである。それは、 当時は欧洲諸国の殆んど全部が金本位又は金為替本位に復帰し、今や通貨安定の新時代に入っておった時であった。この情勢に即応して、この銀行の参加国は通貨安定国に限るという制限案が出たのである。この案によると、日本はまだ金解禁を行わず通貨不安定国であるから、この新機構に参加できぬということになる。これは甚だ不名誉なことでもあり、又不利な地位に立たざるをえないことになる。 森さんは当然にこの案に反対し日本の参加を要求したものである。そして結局は「賠償関係国以外の国の参加は通貨安定国に限 り認められること」に改変され、日本は通貨不安定国であるが、賠償関係国(極めて微少の分配率であるが)という地位で、本行に参加しうることになったのである。しかも、創立委員国として株式もヤング委員会に委員を出した七ヶ国平等同額に割当てられ、重役も同数を指名しうることに話がまとまったのである。」

森賢吾を通した日本勢の主張が認められた背景には、そもそも BIS 設置案そのものについて反対が強い中、これを支持すべき旨の主張を森自身が当初から繰り返し、議論をリードしてきたこと、またそれ以外の諸問題でも「解決」に向けた努力を森がいとわなかったといった事情があったのだという 。しかし、それらは皆、長年にわたって欧州に滞在し、米欧系“越境する投資主体”の雄を取り仕切る群像たちと日々、親交と信頼を深めてきた森賢吾の歩みがあったということは言うまでもないのである。 本著はそうした戦前期日本を駆け抜けた「財務官」たちに脈々と引き継がれてきた“信頼”という伝統を活写する。つまりそこでの記述を読む限り、金融資本主義とは現在のように誰でもが参画すべきところではなく、むしろ徒弟制度よろしく優れた先輩から後輩へと引き継がれ、かつ国外のパ ートナーとも時間をかけることによってだけ醸成される“信頼”に基づき営まれる「場」であったことが分かるのである。 しかしここまで理解して、はたと気付くことがある。それは文字通りの「ベスト・ アンド・ブライテスト」を集めたはずの戦前期日本の“伝承”としての財務官たちが、 なぜ第 2 次世界大戦という惨事、とりわけ日本勢の圧倒的な敗北を予期し、防げなかったのかということなのだ。森賢吾は第一次大戦勃発当時、自ら次のように日記に記したと述懐している :

「一体この戦争は、各国政治家が安易な考え方をしておるうちに、ずるずるとすべり落ちた大雪崩のようなものではなるまいか。墺皇太子暗殺事件後開戦までの一ヶ月間、主要各国政府は戦争防止、平和的解決のために外交上果してどれだけの努力を傾け、どんな対策を講じたかということをふりかえって見ても、ほとんど特記すべきものはないようだ。・・・(中略)・・・要するに、この大戦は、政治家が『あれよ、あれよ』という間に、ドイツの軍国主義的独裁政治におし切られたものと見るべきだ。」

金融資本主義という、本来ならば「ベスト・アンド・ブライテスト」たちが静かに、 あたかも社交場でスコッチを片手に葉巻をくゆらせながらポーカーをするがごとく営まれるゲームの場だけであれば「世界大戦」 など起こらなかった。しかしこれに大衆政治が混濁し始めたところから「世界大戦」 が導かれたのではないか。―――津島寿一の言葉には、かつて私が古巣の外務省でしばしば聞いたのと全く同じ“論理”が見え隠れする。 だが果たして本当にそうなのだろうかと私は思わざるを得ない。「ベスト・アンド・ブライテスト」たちが金融資本主義というゲームに興じている間でありながら、そのシステムにそもそも包含されているもう一つの仕組みが着々と“爆裂”に向かって針を進めていたというのが本当のところなのではないだろうか。金融メルトダウンの中、 米欧勢がいわば“敵失”とでもいうべき状況になりつつある中、徒に量的緩和に走ることなく待ち続ける日本勢の金融当局たち と、この場に及んでも赤字国債の“乱発”や珍案「政府紙幣」なるものまでも持ち出してインフレーションへの舵切りを求める大衆政治家やマスメディアたちの動きをみていると、森や津島らが駆け抜けた時代の「先」にあるものと、これからやって来るであろう「この次」とが重なって見えて仕方がないのである。 その意味で、冒頭に紹介した「IISIA プレップ・スクール」の卒業生諸君で、これから明日の「森賢吾」「津島寿一」たちが日本勢、いや世界史にとって果たす役割は極めて大きいのである。なぜなら、システムの大転換、そしてこれまでの“伝承”としての金融資本主義が持つ限界を堂々と乗り越えて行う新たな創造は、他ならぬ彼らの手によって行われるからである。 そうした前途有望な彼らが職業人生の第一歩を踏み出すにあたって関わることのできたことを私は心から嬉しく思う。そしてまた、これから彼らが全ての人々にとっての幸福という「大義」のため、大車輪で働き始めるにあたって恐らくは最大の障壁と なるであろう、「民主政治」と「金融資本主義」の間における曰く越え難い溝を少しでも埋めるべく、非力を尽くしていければと思う。そのために私が与えられた役割こそ、全国津々浦々、あるいは善意あるマスメディアの場を通じて行う“情報リテラシー”教育に他ならない。―――かつて世界史を駆け抜けた「財務官」たちのストーリーを活写した本著の頁をめくりつつ、その思いを強くした次第である。