お陰さまで創立 3 周年を迎えた弊研究所(創立記念日は 4 月 2 日)を率いる CEO として全国を行脚していく中、最近、とみにクライアント各位から質問されることが一つある。「IISIA はそれだけ“これから” のことを分かるというのであれば、なぜ“それではこうすべきだ”と提案し、かつ実際にそれを手掛けていこうとはしないのか」という問いだ。もちろん今月回(2010 年 4 月叵)の本 IISIAマンスリー・レポートに掲載した別の拙稿でも記したとおり、IISIA によるコア・コンピタンス(本業)としての“情報リテラシー”教育はまだまだ完成したというのには程遠い状態にある。したがって、それを差し置いて次の何かへと移ってしまうのはいかがなものかというのが私の率直な考えなのであるが、他方で上記 のようなクライアント各位からの熱い御期待にも是非お応えしたいというのも本音ではあるのだ。なぜなら、そうした御質問・御言葉の中に込められているのは、やり場の無い「閉塞感」であり、それを打破してくれる者は一体誰なのかという絶大なる期待に他ならないからである。 「それでは、自分は一体何が出来るのか」―――予測分析シナリオを日々、ブラッシュアップし、アップデートする傍ら、ここに来て私の脳裏ではそんな問いかけが頭を 離れなくなりつつある。そうした矢先、ふと手にとったのがこの本(西村吉雄『産学連携 「中央研究所の時代」を超えて』日経 BP 社・刊)だ。
時代の閉塞感を突き破るものは幾つもある。新しいキャッチ・コピー、新しいファッション、あるいは新しい音楽など、その例を挙げればキリが無い。しかし、その中でひときわ重要な役割を担っているのが 「新しい技術」であり、その開発(=イノヴェーション)であることを疑う余地は無いのではないかと思う。それでは、そうしたイノヴェーションを実地で行っているのは誰かと聞かれて、読者の皆さんはたちどころに答えることが出来るであろうか。恐らく、直感的には「大企業の抱える研究所」と「有名大学の理系学部」と思うに違いない。しかし、現実の日本社会においてこれら二つが果たしてどのような状況に置かれているのかというと、すぐさまイメージを沸かせることが出来るだろうか。
この点について“これまで”と“今”を 端的に描き出しているのが、西村吉雄のこの本だ(同第 151~152 頁より引用)。
“1980年代後半のバブル経済華やかなりしころ、日本を基礎研究ブームが覆う。「キャッチアップは終わった、さあ、これからは基礎研究だ。」背後にはリニア・モデルが あった。「基礎→応用→開発」=「研究→開発→生産」=「科学→技術→産業」。この順序でことが起こるとする。そしてこの順序の上流ほどえらいとする。本書でさんざん述べてきた科学優位主義とリニア・モデル である。欧米でようやくこれが終わろうとするとき、バブルの日本では逆に燃えさか ってしまった。国立研究所も産業界も、産業的な価値を無視するかのように基礎研究に力を入れようとした。 おごった産業界はうそぶいた。「大学頼むに足らず。ノーベル賞も会社がとる」。中央研究所の縮小に走る欧米企業は、このとき反面教師だった。「研究から手を抜くようになっては、欧米の一流企業もおしまいだね。これからは日本企業の時代だよ」。・・・(中略)・・・おごれるもの久しからず。バブル崩壊とともに基礎研究ブームも泡と消え、 それどころか研究所そのものの縮小・再編 に日本企業も励むに至る。再び欧米が教師となる。そして欧米がこの四半世紀、血みどろの努力の果てに、大学を産業的価値の源泉に位置づけていたことを、ようやく知る。こうして1990 年代後半から日本でも、 産学関係の再構築と大学改革が始まる。”
西村吉雄の指摘にあるとおり、慌てふためいた日本勢は1990年代後半から一斉に 「大学改革」を加速させた。もちろん「大学改革」には様々な側面・課題がある。しかし、ここでいう文脈でとらえるならば、 それは端的にいってそれまで(驚くべきことに!)“法人”ですらなかった「国立大学」 に対して法人格を不え、そこに産学連携本 部を設置することで、学内にて行われた研究に基づく知的財産権の集中管理を可能にすることがその“改革”のコアであったということができるだろう。そしてこれを学内外に設置する TLO(知的財産権移転機関) を通じてマーケットへ切り売りし、その利 益をもって今や補助金頼みでの経営が不可能となった「国立大学法人」は自ら生き抜いていかなければならなくなったというわけなのである。
今、時代は金融メルトダウンの“最終局面”を迎えつつある。企業はいずれも売上不振の中でこれまでの蓄え(内部留保)を “食いつぶして”生き残りを図っているの が実態であり、およそ未来志向の研究などに積極的な投資は行えない状況にある。かつてバブル華やかなりし頃の「中央研究所」を再構築するなど、およそ叴えられないのが実態だ。そうである以上、日本勢としては「大学改革」の鬼子である上記のような “知的財産権切り売りビジネス”にイノヴェーション活性化の望みを託すしか方法は無くなってきているのであるしかし、(当の大学関係者の方々には大変言いにくいことであるが)この「大学改革」に伴う“知的財産権切り売りビジネス”こそ、現在の状況下では分厚い暗雲に取り囲まれつつある代物なのである。その暗雲の中心にあるものとは「大学発ヴェンチャー」 に他ならない。最近、あまり聞くことの無くなったこの「大学発ヴェンチャー」を巡るビジネス・モデルを非常に簡素化して描くならば次のようなものとなる:
①「大学発ヴェンチャー」が当該技術を開 発した大学教授を中心に設立される。
②その「大学発ヴェンチャー」は当該技術 を管理する産学連携本部および TLO に 対してリース料を支払い、その利用を行う形で研究開発を続ける。
③ある程度、目星が立った段階でヴェンチ ャー・キャピタルから多額の出資が「大学発ヴェンチャー」に対して実施される。
④「大学発ヴェンチャー」は着々と研究開発を進め、その技術にまつわる特許をマ ーケットへ売却する中、新規株式公開 (IPO)を実現。巨額のマネーを手にする中、出資者であるヴェンチャー・キャピタルも初期投資の回収に成功し、売り抜ける(EXIT)。
日本ではいわゆる「IT バブル」が崩壊し た 2003 年頃よりこうした「大学発ヴェンチャー」が次なる“マーケットの星”とし てもてはやされ、続々と創設された。特に医療系の「大学発ヴェンチャー」について は医療ヴェンチャー特有の「製薬など技術開発に成功すればライセンス料だけで一攫千金となる」という性質が射幸心をあおる形となったことは記憶に新しい。その当時、 日本勢の中でこうした「大学発ヴェンチャー」の将来性を疑う声は稀だったというべきであろう。
しかし、本当ならばそこで日本勢は明治維新直後に揶揄された「士族の商法」という言葉を思い出すべきだったのである。――ヴェンチャー・キャピタルは IISIA の言う“越境する投資主体”の典型であり、文字通り秒単位で稼ぎを出している輩の集団である。出資してから最長でも5年以内に満足な形で「EXIT」できないと思えば、絶対に出資などしない。これに対して大学教官たちは(当事者の方々には大変申し上げにくいことだが)率直にいってこうした秒速単位の金融資本主義とは無縁の世界に暮 らしてきている。だからこそ研究開発に専念出来たのであろうが、そのような方々が今度は「大学発ヴェンチャー」の経営幹部ということになると、およそ企業としてのガヴァナンスなど全く存在しないことになりかねない。なぜなら仮に資金繰りに苦しくなろうとも、経営者=大学教官たちにとって出来ることといえば、結局のところ「じっくり考え、研究を続けていくこと」でしかないからだ。大学教官でありながら、同時に“借金取り”に追われ、それを逃れるために“不渡り手形”を何とか凌ごうとしている姿など、彼らにとって絶対に認められるものではないのである。その結果、増資に次ぐ増資となり、隠れた負債は「大学発ヴェンチャー」の周りを強固な石垣のように取り囲んでいく。こうなるともう、よほどの“外科的手術”が無い限り、手遅れなのである。
本来であれば、こうなる前に西村吉雄の語る次のような言葉を「大学発ヴェンチャー」の関係者たちは知っておくべきだったのかもしれない(同第 180~181 頁)。
“たとえば米国では、大学教授のほうが企業に対して、事前に自分の研究計画を提案し、のってくれればこういう成果を約束する、といったプレゼンテーションをする。契約条件についても、この条件でのるかのらないか、と提示してくる。・・・(中略)・・・ そこで契約が成立すれば、守秘義務契約を交わし、よそより先にその企業へ情報を提供することになる。企業側は「公表より前に情報を提供する」と約束してもらうわけである。特許などより、こういう形での情報提供が主となることが多いという。その意味では、企業からみれば、調査会社のプロジェクトへの参加に近い。 このプレゼンテーションは、いわば売り込みである。研究費だけでなく自らの人件費まで、ここから稼ぎださなければならないのが、米国の大学教授なのだ。”
つまりこういうことだ。――日本勢の「大学発ヴェンチャー」関係者の中では依然、見果てぬ夢としての“IPO”を志向する向きが多いように見受けられる。しかし、 “IPO”は最低でも2年はかかるプロセスだ。当然、その間、監査法人やら何やらが「大学発ヴェンチャー」企業に入って来、 事前精査(デューデリジェンス)の名目で虎の子の(特許)情報を知っていく。企業の側から言えば、そんないわば「手垢のついた技術」など関心はないのであって、余程のことがなければそうした「大学発ヴェンチャー」とのコラボレーションなど考えるはずもないのである。それなのに“IPO” を体面だけで目指すなどということは正に「士族の商法」そのものであり、学生たちの言葉を借りれば(やや古いが)「KY=空気読めてない」ということになるのだと思う。
側聞するにこうした「大学発ヴェンチャー」という“見果てぬ夢”に失望し、かといって「国立大学改革」を巡る時計のねじを逆回転することもかなわない大学教官たちの多くは、出資者を求め、定期的に米国勢の下でプレゼンテーションを行い、資金調達を行っているのだという。そして「4 年間で5 億円を与える」といった余りにも “寛大な条件”に感激して帰って来るというのであるが、その先にあるものは賢明なる読者の皆様にとって既に見えてくるのではないだろうか。――“出資者”たる米国勢による当該知的財産権の確保である。このことこそ、正に「頭脳流出」に他ならない。ここに日本の「大学」を巡る本当の “危機”がある。
したがって今すぐさま為されるべきは、 不可逆的に金融資本主義化した世界の中にありながら、決してそのスピードに左右される形で行われるべきものでもない研究開発を巡るマネーの“潮目”を維持するための「仕組み」の構築なのである。現下の金融メルトダウンの“最終局面”という困難な局面だからこそ、そのことは不可能に近く、しかし誰かがやらなければならない仕事なのだ。 西村吉雄によるこの好著を読みながら、そのように強く思った次第である。そしてそのことが、かつて2006年夏学期に東京大学教養学部前期課程で正規の単位認定ゼミナールを開設した時の経験に基づきつつ、 大学を巡る“衝撃の事実”を描き出した拙著「タイゾー化する子供たち」(光文社)の“先”で私自身がなすべきことにつながってくるような気がしてならないのである。