「米国流金融資本主義の苦しい道程」

- PICKUP -

我がIISIA のセミナーを開催する度にご紹介しているのが、社会貢献事業として志ある学生向けに展開している「IISIAプレップ・スクール」の様子である。
向学心旺盛なクライアントの中には一体どういったテキストを用いてそこでの“情報リテラシー” 教育を行っているのかとお尋ねになられる方も多数いらっしゃる。そこで今回は今年度(2009 年度)の「IISIA プレップ・スクール」で用いたテキストの例として一冊、 ご紹介することとしたい。エミリー・S・ローゼンバーグ(マカレスター大学教授(歴史学))「世界に対する金融布教 1900年から1930年に及ぶドル外交の政治と文化」 (デューク大学出版会)である。
今でこそ米国流金融資本主義は文字通り “我が物顔”で世界を跋扈しているが、実はこのような状況が確立したのは1944年 にブレトンウッズ体制が成立してから後のことである。米国勢が海を越えて、“越境する投資・事業”を開始するのはフロンティアの消滅する1890年代頃からのことであり、それまでの米国勢はむしろ内向きの国家であったということが出来るだろう。問題はそうした「内向きさ」が「外向きさ」に変わっていくに際し、対外的に説得力のある一定の論理構造が必要だったということである。これまた余り最近では意識されていないように見受けられるが(特に日本の世論において)、米国はそもそも建国理念からして「自由の国」を標榜してきた経緯がある。すなわち“越境する投資・事業”を展開するからといって、他の欧州列強の様に剥き出しの実力を持って植民地化を図るといった、およそ「自由」の概念と反することは出来なかったのである。これが幸か不幸か、米国に特有の金融資本主義を誕生させることになったというわけなのだ。 そしてその歴史的発展過程と内実をバランスよく記したのがこの本である。米国勢がその金融資本主義をもって初めて「成功」したのは、ドミニカ共和国との関係においてであった。まず、ターゲットとなっている国の政府に国債を発行させ、これを米国勢が引き受ける。米国政府はその担保として金(ゴールド)を当該政府から受け取る一方、経済運営の指導員として「学識経験者」を派遣する。一方、当該国では中央銀行をつくらせ、そこから通貨を発行させることによって経済運営を可能にする。無事にその国が豊かになれば国債も償還され、米国勢としてはある段階で「出口(EXIT)」 に向かうというわけである。
日露戦争(1904~1905 年)の際、ロンドンに派遣された高橋是清が戦時公債の引受をジェイコヴ・シフ(クーン・ローブ商会)に「お願い」し、無事に引き受けてもらったという美談は余りにも有名だ。そしてそのことをもって「ユダヤ勢に日本勢は足を向けて寝ることを許されない」といった論を語る御仁が依然、日本の言論界では多数いる。しかし、ローゼンバーグのこのテキストによれば、シフがこうした日本への支援を決断した際の理由はただ一つ、 上記のとおりリーディング・ケースとしてドミニカ共和国への貸付が首尾よくいったからなのである。それ以上でもそれ以下でもない。それなのにある種のノスタルジーを持ってユダヤ勢の「美談」を語り続ける日本勢とは一体、どれほどおめでたい人種なのであろうか。―――そんなことに気付かせてくれるのがこの本である。
大変興味深いのは、米国流金融資本主義がこのようにその草創期から苦難を抱えていたということのみならず、その変遷ぶりである。シフらも日露戦争くらいまでは良かったが、その後、国務省が側面的にサポートする(=ターゲットとなった国からの取り立てを手伝うという意味で)のを徐々に疎ましく思うようになり、ついにはこうした官民合同でのビジネス・モデルから自ら降りていったというのである。現在ではむしろ“越境する投資主体”側とホワイトハウス側とが混然一体となった人事交流 (回転ドア)を行っているため、結果として当時と同じ効果を持っているともいえるが、“越境する投資主体”たちの側からすると政府レヴェルでの「支援」はスピードが遅く、ケアが細かくないとの苦情が米国勢の中でも出ていたという記述は非常に興味深い。
「米国勢」というと最初から完成したビジネス・モデルをもって世界を制覇していたかのように思えそうであるが、実際にはそうではない。だからこそ日本勢にも「将来」はあるはずであり、それを担うのが君たち=若き志ある学生諸君なのだ。――「IISIA プレップ・スクール」ではいつも私はそのように語りかけることにしている。