「“世界精神”は最後にどこへ向かうのか?」

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かつて外務省より在外研修としてドイツへ送られ、ベルリン自由大学にて修学していた際にその著書を私が読み耽っていた人物の一人にG.W.F.ヘーゲルがいる。最近、ふと気になってその主著の一つ「歴史哲学講義(Vorlesungen ueber die Philosophie der Geschichte)」を読み返してみた。すると次のような一節を見つけた。

「中華帝国をもって歴史は始まらなければならない(Mit dem Reiche China hat die Geschichte zu beginnen.)」

「世界史は自由意識における進歩である(Die Weltgeschichte ist der Fortschritt im Bewusstsein der Freiheit.)」と断言するヘーゲル。そのヘーゲルをして歴史の“出発点”とされた中国が今や日本をも追い抜く経済力を持つ一方、「精神が本当に首をもたげ、真に再生する(das eigentliche Aufsteigen un die wahre Wiedergeburt des Geistes)」とされたギリシアが今やデフォルト(国家債務不履行)寸前であるというのは正に歴史の皮肉(Ironie der Geschichte)と言わざるを得ないであろう。ヘーゲルにとって、中国とは「自由(Freiheit)」を本質とする “世界精神(Weltgeist)”の出発点ではあっても、結果としてそれが開花することなく別世界へと移行していく地でしかなかった。ところがそのような地であったはずの中国、あるいはもっと広く言うと東アジア、 そしてアジアそのものが現下の金融メルトダウンの中にあっても明らかに隆盛である一方、欧米世界は自ら始めた金融資本主義のゲームを巡る出口を見失いつつあるように見受けられるのである。
自ら混乱へと陥る米欧勢。彼らのゲームに巻き込まれつつも、かえって富を集積していくアジア勢。その二つが織りなす世界史の矛盾。――だからこそ、私たちは今、「アジアとは何か?その本質は“彼岸”に あって我ら=アジア勢を怖れ、奪い続ける米欧勢が持つそれとどこが異なるのか?そして“世界精神”が紡ぐ世界史は此岸と彼岸のどちらへ向かっていくのか?」を問わなければならないのである。
そのような問いを脳裏に思い浮かべる中、偶然にも手にとった本がある。白石隆「海の帝国 アジアをどう考えるか」(中公新書)である。2000年に刊行され、第1回読売・吉野作造賞を受賞したこの本の中で、白石隆は次のように語る。

「アジアを考えるとき、『陸』のみに権力を集中させる視点は、必ずしもこの地域の理解に十分でない。むしろ歴史的にみて、北東アジアから東アジア、さらに東南アジアからオセアニアにかけて、いくつかの海域圏が存在し、海域をめぐって、その周縁に位置した国や地域および交易都市が相互に影響を不えあってきた歴史が存在していることが、この広域地域の大きな特徴である。この海域の大きさは、インド洋や太平洋のような『洋』 ocean ではなく、黄海や日本海のような『海』 sea で示される範囲が考えられる」(同書第 180~181 ページ)

欧州の“文明人”たちはかつて、香辛料を求め、風に誘われて東へ、東へと船を走らせた。彼らが向かった地は「東インド」である。今では歴史書以外には登場しないこの語が示す世界こそ、“アジア”であった。その“アジア”の歩みを読み解くにあたって、白石隆は「東南アジア」と「東アジア」が辿った相異なる地歩にこそ注目すべきだと指摘する。なぜならば、かつて同じ原理に基づく世界秩序の中に生きていた“アジア”は、大航海時代以降に到来した“文明人”たちによってその自生的な秩序を破壊された前者と、自ら「鎖国」「海禁政策」を採用することにより破壊を免れた後者へと分離されていくからである。

「近世において東アジアは東南アジアとは違う歴史的奇跡を辿った。東南アジアではポルトガル、オランダの勢力がこの地域の自生的な秩序と歴史のリズムを破壊した。これに対し、東アジアでは、日本が 1635年に鎖国に転じ、また中国では17世紀後 半、鄭成功が台湾からオランダの勢力を放逐し、そのあと清が海禁政策を導入した。東アジアはこうして近世国家のヘゲモニーの下、外界から閉じた。その結果、東アジアでは、この地域に自生的な秩序と歴史のリズムが維持された」(同書第 185 ページ)

それではアジアにおける自生的な秩序とは何なのかというと、白石隆曰く、交易の拠点となる海港を中心とした同心円が複数点在する“まんだら”のようなものであったのだという。そして「大英帝国」はこの“まんだら”にある同心円の中心=点を、現地の華僑華人ネットワークとの合従連衡を繰り返す中で一つ一つ攻略していった。その意味で、大英帝国とは“アジア”において「海の帝国」だったのである。
しかし、第二次世界大戦後、状況は一変する。米国勢がヘゲモン(覇者)として登場し、点と点、“まんだら”と“まんだら”によって織りなされてきたこの「海の帝国」による秩序を一掃したからである。その代わり、米国勢は「『アジアの工場』=『アジアの兵站基地』」(同書第129ページ)であり、「アジア地域秩序におけるアメリカの構造的優位を脅かさないかぎりでの中心性」(同上)をもった存在へと日本を変質させるという戦略に出ることで、新しい“帝国”を“アジア”の地に構築したのであった。そしてその中において戦後の“アジア”は形作られ、「日本でも、韓国でも、東南アジアの多くの国々でも、米国の力がなんらかのかたちで国家機構そのもののなかにビルト・インされている」(同書第134ページ)のがもはや自明な世界が形成されてきたというわけなのである。

それではそのようにして「半主権国家」へと封じ込まれたアジア勢、とりわけ仮初の「中心性」を持った私たち=日本勢にこのくびきから開放される手立てはないのだろうか。この本の中で白石隆は正にこの問いに対する答えを出すべく、次のような光明を指し示す。

「この200年、世界経済に占めるアジアの位置にも大きな変動があった。原洋之介氏によれば、1820年、中国、インド、東南アジア、朝鮮、そして日本で構成されるアジアは世界の総所得の58パーセントを占めた。しかし、19世紀のヨーロッパの産業革命、20世紀の米国の工業化によって、1940年には西ヨーロッパと英国の四旧植民地(米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)が世界所得の56パーセントを占め、アジアの割合は19パーセ ントまで下落した。この趨勢が1950年を境に逆転する。アジアで高度経済成長がはじまり、アジアの総所得は1992年には世界の37パーセントを占めるまでに回復した。そして仮にこの成長がこれからも持続すれば、2025年には世界所得に占めるアジアの割合は 57パーセントと、ふたたび200年前の水準に回帰する」(同書第176ページ)

そう、“世界精神”はヘーゲルの思考も空しく、実は“アジア”の地へと回帰しつつあるのだ。香辛料貿易(spice trade)から始まる欧米勢による全ての企ても空しく、世界史は今、着実に皮肉たっぷりの真実を見せ始めている。宣教師派遣によるキリスト教への改宗から始まり、米国勢による金融資本主義という新たな宗教を流布させる企てに至る全ての潮流にもかかわらず、こうした展開は止まることを知らない。自然(じねん)を越えた開発、すなわち猛烈な勢いで「破壊と創造」を繰り返す彼岸のやり方に対し、心の奥底でどうしても違和感を感じ、「文明開化に乗り遅れる者よ」と彼岸とそれに“洗脳”された者たちからどんなに詰られても自らのやり方を貫こうとする私たち=アジア勢たち。白石隆の手によるこの名著を手にしながら、私はふと、今から300年余り前に中国大陸で起きた次のようなエピソードを思い出した。

「1605年6月、ひとりの老人がリッチのもとを訪れた。(註:イエズス会士のマテオ)リッチがそれまでに入手していた情報によれば、中国の奥地には外部の世界から隔絶されたキリスト教徒が生存しているといわれ、リッチ自身、中国に来た時から興味をかきたてられ、彼らと連絡をとろうとしていたから、突然の老人の出現をキリスト教徒が面会のためにやってきたもの、と理解したのも当然であった。ところが、リッチを驚愕させたのは、老人が最初考えていたようなキリスト教徒ではなく、ユダヤ教徒だったことである。
リッチの報告を受けた西洋のキリスト教世界も、ユダヤ世界も興奮を隠さなかったが、先にキリスト教会でさっそく開封ユダヤ人をキリスト教に改宗させるため、開封と接触を求めて活動を開始した。・・・(中略)・・・古くからユダヤ人がシルクロードをへて中国に渡来した可能性は高いが、交易ルートの要衝に位置した開封が10~12世紀に北宋の首都として栄えたことを考えると、開封ユダヤ人社会の成立もこの時期とするのが妥当と見られている。当時のユダヤ人人口は350~500人くらいで、18世紀に入っても 1,000人を超えることはなかったと推定されている。やがて海上運搬ルートが開かれ陸のシルクロードがすたれると、開封は孤立し、衰退した」(丸山直起「太平洋戦争と上海ユダヤ難民」法政大学出版局 第 22~23 ページ)

興奮したマテオ・リッチが必ずや気付かなかったであろうこと。それは陸を、あるいは海を経てやってきたユダヤ人たちがこの地にいたということは、“アジア”の地にある文明・文化には、彼岸からやってきた彼ら宣教師の教えを待つことなく、彼らの語る「オリジナル」が既に含みこまれていたということである。もっと言えば、彼らによる伝道・宣教を待たずして、“アジア”の地にあるもの、“アジア的なるもの”の中には既にその全てが包摂され、早くも豊穣さすら見せ始めていたということなのだ。愕然とするのは彼岸からやってきた彼らで あって、此岸に生きる私たち=アジア勢ではない。
2000年に書かれたということもあって中国経済の将来性について否定的であること、あるいは今後、日本が取るべき針路として「英米本位主義を排し、アジア主義に賭けるなどというのは狂気の沙汰である」 (白石隆・上掲書第198ページ)と断言するなど、現実と論旨からいって承服できない点が全く無いわけではない。しかしこれは、米国勢の“ど真ん中(コーネル大学)”で教鞭をとることで禄をはんできた著者ゆえの、ある種の「戦術的な記述」と理解しておきたい。少なくとも今から10年ほど前、“戦後日本の言論人”としてはギリギリの既述、ギリギリの発言が続く本書なのだから。
大転換が正に現実となる今年=2010年の年頭だからこそ、読者にも是非一度、手にとって頂きたい一冊である。