原田武夫国際戦略情報研究所がご提供する日本初の情報リテラシー専門図書です。会員制サロンStufenに設置しました。

日本の技術者たちよ、 誇りを取り戻せ!
日本の技術者たちよ、 誇りを取り戻せ!
私がまだ外交官であり、同時に執筆業を始めたばかりの頃のことだ。企画案を持ち込み、「日本はこれだけの力があるのだ」という本を書きたいと繰り返す私のことをたしなめるように、馴染みの老練な編集氏が言った言葉が忘れられない。――「原田さん、こういうタイトルの本は売れないのですよ。そうではなくて『日本惨敗』とか『日本大敗北』とかそういうのじゃないとダメなんです。」 私は正直、大いなる違和感を禁じ得なかった。もちろん編集氏に悪気があったわけでは毛頭ない。率直にいってマーケティングという観点からこれまでの経験に基づき、忠告してくれたのだろう。しかしそれは「売る側」に立った出版社の議論だ。「書く側」である執筆者の側からすれば文章を送り出すことは、兵を戦場に送り出すに等しい決死の行為なのである。それこそ、その内容いかんによっては世間から抹殺されることすらあるのだから。だからこそ想いをこめて本を世に送り出す。それを最初から「惨敗」だの「大敗北」だのとは全くもっておかしな業界だと思ったことは記憶に新しい(あの時の「直観」は全く正しかったのであって、事実、その後、一般読者から見放された出版社たちは大手を筆頭として徐々に路頭に迷いつつあるのだけれども)。 今でこそ企画案は出版社から持ち込まれ、同時にタイトルについても我がままを少しは言えるようになった私だけれども、出版社側の横暴さに臍を噛んだことはこれまで何度もあった。早いもので25冊近く上梓させて頂いている私でさえそうなのだから、恐らくもう少し遅筆家でしかも本気で筆一本で生きておられる作家の方々のご苦労は並大抵のものではないように思う。 そうした中、何といっても勇気づけられるのが読者の皆さんからの反忚である。びっくりするような角度から感想をぶつけて来られる方や、あるいは年配の方からは「こういうのも読んでみたら」と読書の勧めを頂いたりもする。それらはいずれもシンクロニシティの賜物なので、逐一拝読した上で参考にさせて頂くことにしている。そうした「読者感想文」の中の一つに、とある我が国の地方に暮らしていらっしゃる御老人の方から頂いたものがあった。何年前のことだったであろうか、やや記憶が怪しいが長文であったことははっきりと覚えている。そして何よりも何冊も貴重なご蔵書を送って来られて、次のように添え書きされているのである。 「貴方の書いた本を読んでいて、同封する本を是非読んでもらいたいと思いました。かつて我が国は世界随一の技術大国として恐れられていました。あの米国ですら恐れていたのです。そのことを忘れないで欲しいのです、多くの日本人に」 そうやって私の手元に届いた本の一冊、それが今回御紹介したい書籍である中川靖造『ドキュメント 海軍技術研究所 エレクトロニクス王国の先駆者たち』(日本経済新聞社 現在は光人社NF文庫所収)だ。送って頂いてからしばらくは多忙にかまけて頁を繰ることはしていなかったのだが、ある時、執筆をしていた真夜中、気になって手にとり、中を覗いてみて、次のようなフレーズを見つけ、ハッとした: 「これまで日本は同じような危機に何度も直面している。その矢面に立って問題を処理し、活路を拓いてきたのは、太平洋戦争を通した欧米との技術格差がいかに大きかったかを身をもって体験した経営者や技術者たちであった。 これらの人々は、戦後、外国の先進技術を積極的に学び、工業技術のレベルを欧米並に引き上げることに総力をあげて取り組んできた。その結果、安かろう悪かろうの代名詞だった『メイド・イン・ジャパン』を、高品質で安値というイメージに転換させることに成功した。 この技術成果は日本人のもって生まれた知的能力と学ぶ力、旺盛な向上心、欧米という良い見本があったことなどがうまく噛み合って実現したものと言われている。ところが、その発展の軌跡をたどると、もう一つ意外な事実が隠されていることに気づく。旧日本海軍の技術とその開発に携わってきた海軍技術官が、戦後の技術復興に大きな役割を果たしたことである」 戦後日本の復興を単なる「精神論」や「勤勉さという特質」によるものとする議論は多い。しかし、それだけでは全くもって不十分なのであって、大切なのは実は戦時中における技術の蓄積、しかも海軍のそれであったというのである。筆者(中川靖造)はさらに続ける : 「なかでもひときわ目立つのが、海軍の先端技術と言われた電波、通信、磁気、音響などの電子関連兵器技術とその開発に携わってきた技術官の存在である。 それは、戦後、いち早く国産テープレコーダーやトランジスタラジオを開発、日本のエレクトロニクス産業発展のきっかけをつくったソニー(当時、東通行)を見るとよくわかる。 ソニーは好奇心の旺盛な天才的エンジニア井深大(早大理工学部電気科、現名誉会長(註:当時))と、海軍技術中尉だった盛田昭夫(阪大理学部物理科、現会長(註:当時))が協力してつくりあげた技術指向のベンチャービジネスである。 それがなぜ海軍と関わりがあるのか、訝る人もいるかもしれない。だが、ソニーの草創期を支えた人脈を見れば納得してもらえるはずだ」 そう記した後、中川靖造は無名の町工場であったソニーを巨大な企業にまで押し上げるのに尽力した者たちであり、同時に海軍技術研究所の士官(研究者)たちであった名前をずらずらと列挙する。実に圧巻なリストアップである。 それだけではない。日本ビクター(当時)や日本電気(当時)においても大量の海軍技術研究所OBたちが就職し、そのエレクトロニクス開発を支えていたのであった。しかし、「こうした事実があるにもかかわらず、戦前、戦中、戦後の連続性という観点から日本の技術開発の一断面を捉えるという試みは、これまでほとんど行われてこなかった」 のである。 中川靖造が現在を生きる私たちの眼から見ても優れた洞察力の持ち主であることが分かるのは、高度に情報化が進み、一見するとあたかも全ての情報を居ながらにして得られるように見えながらも、実のところ海の向こうの米国勢の胸先三寸によってはそうした情報のフローが止められてしまう危険性を意識していたという点である。その意味で、「技術封鎖という最悪の環境の下で最先端技術の開発に取り組んだ海軍の研究開発方式は、良かれ悪しかれ、今後の日本企業の研究開発を考える上で、何かヒントを与えてくれる」 はずなのである。全くもってそのとおりなのだと私も思う。「常時」は常に「非常時」なのだ。その気構えがないものに、我が国の最先端技術を担う企業を統率する資格などない。 実は戦中における我が国の海軍における技術開発がその後揶揄されることになる「レーダー開発」なども含め、最高峰のものであったということを最も意識していたのは他ならぬ米国勢なのであった。1945年8月28日、GHQは遂に厚木基地に到着。「進駐」を開始する。海軍技術研究所も接収の対象となるはずであった。 そのような矢先に、マサチューセッツ工科大学総長(MIT)K.T.コンプトン博士を団長とする科学情報調査団の一行が出し抜けに同研究所を来訪する(9月17日)。いわゆるコンプトン調査団である。これをきっかけにこの調査団のみならず、米海軍、極東空軍、陸軍調査団(米軍も旧日本軍に負けず务らず縦割り組織なのである)、GHQ民間通信局(CCS)などが来訪し、あるいは呼び出しをかけてきた。その回数実に38回に及んだのだという 。その中でもとりわけ米国勢が熱心に聴取を重ねていたのは次の6点であった : ●マグネトロン ●電波伝播 ●ドイツより技術提供を受けた「ウルツブルグレーダー」 ●単一導波管 ●島田実験所の装置 ●旧日本陸海軍の技術協力情況、部外研究者の利用方法、復員技術官の就職状況 GHQは必死になって海軍技術研究所の「ヒト」と「技術」の髄を集めようとした。しかしそれに先立って敗戦直前の8月8日、米内光政海軍大臣(当時)は保科善四郎軍務局長(中将)を呼び、密かに次のような訓令を出していたのである : ●連合軍は日本海軍を全滅させたが、近い将来、必ず極東の軍事バランスが崩れる恐れがある。その際どうしても日本海軍の再建が必要になる ●海軍の技術は、日本でもっとも優れている。この技術を、戦後再建しようとしている会社に入れ、大きな力になってもらうよう努めよ ●海軍のよい伝統を、単に海軍だけでなく、全日本に拡大するように努力してもらいたい これで読者にもお分かり頂けたのではないかと思う。敗戦後、海軍技術研究所の優れた中堅・若手研究者たちが民間という「野」に下ったのは、決して偶然ではなかったのである。それは明らかに「戦時中」から画策された“形を変えた戦争の継続”なのであって、“塹壕戦”なのであった。そのことを感じ取った旧所員たちは巧みに日本のモノつくりの世界へと散らばり、自らの生活と共に我が国を見事に「復興」させたというわけなのである。その先見性、そして貫徹力、胆力たるや全くもってただただ感嘆するしかない。 ちなみに、本稿の冒頭で取り上げた我が国のかつての技術系リーディングカンパニーはここに来て再び数百人規模で技術者を「大量リストラ」したのだと耳にした。もちろん表向きは様々な理由があるのだろう(いわゆるMBA的な見解からの「数字合わせ」の世界だ)。だがどういうわけか金融メルトダウンの直前に「技術から金融へ」と不思議な方向へ舵を切る経営者が現れ、挙句の果てにはトップが米国勢となり、モノつくり企業にとっては虎の子の技術者たちを続々とリストラさせるというこの企業における事態の進展は“余りにも美し過ぎる偶然”だと思うのは私だけだろうか。 「戦争」は終わってはいない。少なくとも海の向こうの彼らにとっては。そのことを忘れてしまったのは私たち日本人の方なのであって、これが正に「民族の劣化」というものなのだろう。「何とかしなければならない」と奮起させる一冊である。 同上 第273~274頁参照。

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